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2006年第4号
新型インフルエンザ・パンデミック対策をめぐる諸問題

本稿について

本稿は、2006年 アレルギー・免疫誌(医学ジャーナル社)11月号の「特集・インフルエンザをめぐる諸問題」に「インフルエンザのパンデミック対策について」という題で寄稿したもので、今回同社編集部の許可を得て一部改変しここに再掲載するものである。筆者としてはIからIVまでは様々な機会に解説してきたことであり、特別新しいことは書いていないと思っているが、V以降は、書いた当時の心情が吐露されたものと考えている。

西村 秀一

国立病院機構 仙台医療センター 臨床研究部病因研究室長 ウイルスセンター長

〒983-8520宮城県仙台市宮城野区宮城野2-2-8

サマリー

インフルエンザのパンデミックは、歴史の必然である。人類には未だそれをコントロールできるほどの力はない。だからといって何もせず、成り行き任せで良いわけではない。その病原性の程度は、実際にパンデミックが起きてはじめてわかるものであり、非常に程度の強いものに備えるのは当然だが、ことさら恐怖を煽ることは慎むべきである。コントロールできずともできるだけ被害を軽減するために手を尽くす必要があるはずであり、それには、行政の真摯な対応だけでなく市民の協力が不可欠だからである。いわんや医療関係者の協力をやである。

キーワード

インフルエンザ / パンデミック / プランニング / 減災

はじめに

ここ数年鳥インフルエンザの世界的規模の大流行があり、鳥だけでなくさまざまな哺乳類が感染し、ヒトでもいくつもの国で患者が出続けている。そしてそのうち「パンデミック」なるものが起きるのではと、多くの公衆衛生関係者が恐れている。そういう、インフルエンザ・パンデミックとは何だろう? それが本稿の主題である。

インフルエンザの流行は、われわれにとって特別珍しいものではなく、程度の差こそあれ毎年大勢の人びとがこれに罹患する。しかし、それが地球規模で同時多発的に、いつもとくらべてとてつもなく大きな規模で起きることがあり、そのような流行がパンデミックということばで表現される。

インフルエンザ・パンデミックは、われわれにとって所詮他人事でありこの先われわれは、遭遇せずにすむのか?あるいは、それがどんなものであれ自分たちの身にふりかかることを覚悟しなければならないのか?だとすれば、われわれはいかにあるべきか?

本特集は、インフルエンザをめぐる諸「問題」という企画ということである。もし、読者の中に、パンでミックについてそうした問題意識をもたない御仁がおられたとすれば、本稿は、そういった人たちに捧げたいと思う。

I 改めて…インフルエンザのパンデミックとは?

ウイルスに大きな変異が起き、多くの人々が免疫を持たないインフルエンザウイルスが人びとの間で広がりを始めると、その感染症としての新しいインフルエンザが短期間のうちに世界中に蔓延する。これがインフルエンザのパンデミックである。ヒトの世界では常時どこかでヒトに特有のA、B、Cという三つの型のインフルエンザが流行している。だが、パンデミックを起こすほどの大きな変異が生じるインフルエンザウイルスは、これまでわれわれが知っている限りA型のみであった。ウイルス学的な詳しい解説は紙面の都合で省くが、それにはウイルス粒子表面にあるスパイク状の糖たんぱく質の構造の、亜型というレベルの大変異が関係している。(参考文献1) 現在、話題の鳥インフルエンザも、本当にパンデミックを引き起こすかどうかは起きてみなければわからないものの、H5N1亜型という、これまで人類が経験してこなかった亜型ゆえに、今後の行く末が懸念されているのである。

II インフルエンザそしてそのパンデミックは、なぜ怖い?

インフルエンザの流行の疫学的特徴は、その感染力の強さから、極めて多数の罹患者数が、それも短いタイムスパンの中で出現することである。通常のインフルエンザでの患者の致死率は通説では小数点以下2けたのパーセンテージとされており、そう高くはない。しかしそれでも社会全体としてみれば、亡くなるひとの数は、相当な数にのぼることになる。また、超過死亡数がインフルエンザの流行時には跳ね上がるということも知られている。季節変動を加味した予測死亡値と実際の死亡者数の差で、インフルエンザによる死亡被害の程度を推定するのに用いられており、国立感染症研究所の試算によれば、通常の流行でもシーズンによっては、全国的に見れば数万人規模になることもあるという。インフルエンザが直接の死因でなくとも、慢性基礎疾患を抱える人びとや高齢者の方々が、インフルエンザをきっかけにして持病を悪化させ、あるいはそれとはわからず亡くなってしまうという怖さがそこにある。

ましてや、パンデミックである。みなが免疫を持たないウイルスであればなおさら罹患者の数は跳ね上がり、これに比例するように死者の数も跳ね上がることになる。そのうえ、病原性がちょっとでも上がれば、なんら手を打たずなすがままにしておけば、それだけ死者の数が増す。こうなると、凄みさえ感じる怖さになる。事実こういったパンデミックは過去に確かにあった。

III インフルエンザのパンデミックの歴史(参考文献2)、3))

表1はインフルエンザ流行の歴史を概観したものである。ここでのポイントは、新型インフルエンザがひとたび流行し始めたときには、毎回それが世界的規模の大流行(パンデミック)につながっていたという事実である。それは、流行当時の人びとの持つインフルエンザに対する免疫が、先の項での説明のように、登場した新たなウイルスに無力だったからと説明されている。それぞれのパンデミックの詳細もいろんな本で紹介されており、ここでは省くが、実際、歴史的に10年から3〜40年の間隔で新型インフルエンザの出現とそれに伴うパンデミックがこれまで起きており、そのたびに多くの犠牲者が出ている。

表1 ウイルス学的にわかっているインフルエンザ・パンデミックの歴史
大流行の期間 パンデミックの一般名 流行ウイルスの抗原性
1889-1890 Asiatic influenza H 2 N 2 亜型
1898-1901 特になし
(パンデミックか否かについては賛否が分かれる)
H 3 N 8 亜型
1918-1920 Spanish influenza H 1 N 1 亜型
1957-1958 Asian influenza H 2 N 2 亜型
1968-1969
(流行は現在まで続いている)
Hong Kong influenza H 3 N 2 亜型
1977-1978
(流行は現在まで続いている)
Russian influenza H 1 N 1 亜型

また、これらのように原因ウイルスの素性が明らかになっていなかったさらに昔においても、ある一定の時期に、「急性の発熱と呼吸器症状と全身衰弱が見られる病気の流行が突如として始まり終わる」ことを特徴としてとらえることにより、インフルエンザであっただろうと考えられる感染症の流行が、歴史的資料から見出されている。

表2 歴史資料から読み取ることができるインフルエンザの大流行
流行年 初発地域 発生季節 流行規模
1510 アフリカ 不明 ++
1580 アジア +++
1729-1733 ロシア +++
1781-1782 ロシア・中国 +++
1799-1802 ロシア・中国 ++
1830-1833 中国 +++
1847-1848 アジア・ロシア ++
1857-58 パナマ 8月 ++

なお、表1、2は、参考文献2)3)より著者訳、改変

IV ふたたびあるかパンデミック?どうするパンデミック?

上述のように、人類各世代は、これまで歴史的にインフルエンザのパンデミックを経験してきた。そうした経緯をふまえた上で、われわれの世代だけが、パンデミックに襲われないきわめてラッキーな世代だと考えるかである。それではあまりに能天気ではないかと筆者は思う。H3亜型、いわゆる香港型が出現してから30年以上がたち、新たなインフルエンザの出現も時間の問題とされているなか、鳥インフルエンザに端を発したH5亜型の家禽類での流行とそれに関係するヒトでの散発的感染が繰りかえされている現在である。

世界のどこかで、私たちにとってそれまでとまったく違う新しいインフルエンザが出現、パンデミックとなれば、普通の生活をしていれば世界中どこにいようともそれから免れることはできない。地域ではほとんどの住民がそれにかかり、大勢の患者が出る。それは、先に挙げたように歴史が証明している。

こうしたきわめて高い罹患率を考え、また歴史の繰り返しとそのたび人類が受けてきた被害の大きさを考えるとき(参考文献4))、そして今後新たな出現を予想するとき、それに対して何かせねばという気は起きて当然ではないだろうか。しかし、起きてから考えても間に合わず、その事態を想定した事前の準備が今、必要なのである。そうした準備計画が、パンデミック・プランニングということばで表されるものである。

V 対策の日本の現状について

パンデミックが起きた場合、前世紀の例では、押し寄せる患者に対応しきれず、医療現場で大混乱が起きている。この反省のもとに、欧米先進国は、筆者の知る限り10年くらい前からパンデミック・プランニングに取り組んでおり、ここ数年それをさらに加速してきている。日本もこの流れに取り残されまいとしたのか、昨年11月、厚生労働省がようやく『新型インフルエンザ対策行動計画』を発表し、続いて各都道府県に対してそれぞれが「新型インフルエンザ対策に関する具体的な計画の策定に努めるよう」求めた。その結果、全都道府県が急遽「行動計画」を発表した。ただ、これにも問題点が多々ある。かなりの工夫と独自のまとめ方をしているところもあるが、それらは少数派であり、ほとんどが国の『行動計画』の内容をほとんど丸写しあるいは抜粋しただけの、同じような顔の「金太郎飴」であった(参考文献5))。大流行で一番混乱に陥るのは、地域であり医療現場である。にもかかわらず、大流行時の対処の部分が手薄で、地域としての具体性にも欠けている。現状は、ここでは詳しく述べないが、抗ウイルス薬の備蓄やH5N1亜型ウイルスによるパンデミックを想定したワクチン開発といった国レベルのハードの面はだいぶ進んできていて、そのことについては評価できるが、上記のような地域レベルのソフトの面が追いついていないといったところである。

だが、他人の対応の遅れをなじるだけでは残るのは不協和音だけである。そして、じつは、吐いた唾はわれわれ自身にもどってくるのだ。前回のものは、とりあえずのものとして、上記のような批判に応えるような改定作業が、各地で現在進められているはずであるし、そう期待したい。

自身が本気でこれと取り組もうとしてはじめてその難しさがわかり、難しいなりに少しでもなんとかしようという、本当の自分の取り組みが始まるのだが、行政も医療機関も結局は、各個人であり、そこにやる気のある人間が現れないと、ものごとが本当に動かないのは世の常である。パンデミック対策も例外ではない。パンデミックの話を聞いて、読んで知っていても、ときに専門家といわれる人たちでも、これに一生懸命にとりくもうとしないパターンとしては、次のようなことが挙げられるのではないかと、筆者はひそかに思っている。

  1. じつは理解していない人。あるいはレセプターのない人
  2. 確信犯的に、そんなパンデミックなど起きはしないと考える人、あるいはまだまだ起きないだろうという潜在的願望を含めた楽観論者
  3. ことばではわかっているものの、自分に降りかかるイメージとして捉えられない人
  4. 大事なのは分かっているが、自分の目の前の仕事で精一杯で、「だれか考えてくれるだろう」「これは他人の仕事だ、だれも考えないのは、考えない誰かが悪いのだ」とする他人任せ
  5. 何かやらねばと思いつつ何をやったらよいかわからない人
  6. 自分と自分の家族はとりあえずタミフルで守れるから、他人は誰かがなんとかすればいいという利己的な人
  7. 目の前に事が起きなければ何もしないで、自分が責任を問われない程度に、とりあえずお付き合いして、自分に仕事として回されてきた時が過ぎるのを待っている人
  8. これらの間のいくつかの組み合わせ

VI 対策の上での問題点

対策を進める過程で、上で述べた個人の要因以外にも、いくつかの障害がある。ここでは、3つの問題点について述べる。ひとつは、来るぞ来るぞと何年も言われていてまだ来ない、現実的にパンデミックの兆候は何も起きていない(これは、本当は私たちにとってたいへん喜ばしいことなのだが)。言っている人は「来る」とは言っても、「いつ来る」とは言っていないはずだが、話し振りですぐにでも来そうな雰囲気をかもし出していたことは否めない。だがそのために、理解が浅いまま一時共感しきた人たちが、かえってそれゆえにパンデミックの対策の必要性(あるいは必要性を唱える人)に不信感を持ち始めている。そこまではいかずとも、士気の低下は否めない。本当に来るのか、そんなものにつきあわされるのはごめんだと、口には出さずとも思っているかもしれない。こうした短期的な見方ではなく、たとえば地震対策のような、パンデミック対策をいつまでも続く仕事としての仕組みをつくる必要があると思う。

一方で、怖れ過ぎの問題がある。スパニッシュ・インフルエンザのすさまじい被害を聞かされ、それより格段に致死率が高い現時点での東南アジアでのH5N1亜型の鳥インフルエンザの状況をこれでもかと聞かされ、またSARS(重症急性呼吸器症候群)でのようすが深層心理に焼きついた人たちの中には、そんな恐ろしいものに自分はかかわりたくないと、いまから腰が引けている人たちがいる。一般の人たちだけでなく、医療関係者もそうである。ましてや、新型インフルエンザに対して、「完全防備で、患者をアイソレーターで運搬する」模擬訓練のようすを得意げに見せられたら、である。

だが本当は、どの程度の病原性のインフルエンザがパンデミックを起こすのか、起きてみなければわからない。非常に病原性の高いものに備えることの大切さは当然だが、説明は、ことさら恐怖を煽るようなことのことないよう慎重にやるべきであろう。パンデミックに対しては、行政がきちんと対応し、市民がそれに協力する態勢が必要なのである。いわんや、医療関係者の協力態勢をやである。彼らの心を逃がしてはならない。

3つ目は、完璧にやろうとしたとき陥る無力感である。現代科学には、残念ながら、いまだそれのみでインフルエンザの流行をコントロールできるほどの力はない。ワクチンも薬も完璧なものはないし、その量すら十分ではない。十分な対策をとろうとしても、相手が大きすぎるために、おのれの力不足を痛感させられ、どうせやってもだめだろうという気に、どうしてもなりがちである。だが、だからといって、何もしなくてよいのか?コントロールできないとはいっても、できるだけ被害を少なくするのに手を尽くす必要はあるのではないか。すなわち、対策の重きを「減災」に移す発想の転換が必要なのである。これは世界的な動きである。弱者救済の福祉と最低限の社会機能の維持のための施策は、その最たる例である。

おわりに

次にやって来るパンデミックが、現在家禽類で流行し、散発的にヒトへの感染を繰り返しているH5N1亜型である可能性が高い事は確かである。だが、そうは言っても本当のところは、これがパンデミックを引き起こさない可能性もあり、突然別の亜型によって引き起こされる可能性も否定できない。また、そうしたパンデミックが、いつどのような規模で発生しどの程度の被害をもたらすのか、現時点では不明であるとしか言いようがない。「もはやインフルエンザではない」インフルエンザが来るのか、来てみたら「やっぱりインフルエンザだった」のか、実際に起きてみなければわからないのである。ただ、それでも最低限言えることはある。

ひとたびヒト-ヒト間で容易に感染する新しいインフルエンザが出現すれば、高速大量交通輸送時代の現在、世界中に短期間で拡散する可能性はきわめて高いこと。そして、短期間の内に膨大な患者が発生することが予想され、その結果、何もしなければ医療現場のみならず社会全体の活動が大きく低下する可能性も、考えておく必要があるということである。

「時代が違う。現代科学・医学は進歩しており、さまざまな薬もあり人工呼吸装置もあるし……」といった反論もよく聞く。しかし、われわれの科学も、いまだインフルエンザやそのパンデミックの完全な理解からは程遠く、また進歩したと思っている医学も、その結果少数の患者の徹底的治療には得意になった一方で、極めて多数の患者を同時に扱う態勢からは、むしろ離れて行っている。われわれは、このことを謙虚に自覚しなければならない。それがあっての上での対策である。

参考文献

1) 中村喜代人:オルソミクソウイルス科. 医科ウイルス学,改訂第2版(大里外誉郎編)南江堂,東京,p328-340.
2) Beveridge, W.I.B.: The influenza chronicle, Influenza: The Last Great Plague. Heinemann, London, p24-38, 1977.
3)Polter, C.W. : Chronicle of influenza pandemics. Textbook of influenza, ed by Nicholson et.al., Blackwell Science, 3-18, 1998.
4)クロスビー A.W.(西村秀一訳): 史上最悪のインフルエンザ,みすず書房,東京 2004.
5)西村秀一: 自治体レベルのプランニング:都道府県の新型インフルエンザ対策『行動計画』を概観する インフルエンザ 7:145-150, 2006.
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